約一年かけてぶーらぶーら日本一周 100名城も巡るよ!

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四十七城目:岐阜県岐阜城
2015-06-16 Tue 19:27
お久しぶりです 鹿児島県は絶賛大雨暴風中でございます
梅雨真っ只中な状況をリアルタイムで体験中 正直飽きまっせこれ
ほぼ動けない毎日 下がるテンション上がるデータ使用量 ヤバい

そんな状況でやっとこwimaxがつながる所まで出られたので百名城の記事でも
通常の記事?雨の中しか走ってないうえネタがないので却下却下
てなわけで今回は織田信長が天下布武の足掛かりとした岐阜城の紹介

岐阜城という名前は信長が地名を「岐阜」と定めたところからきている
以前は稲葉山城と呼ばれていたのだ 半兵衛の乗っ取りなんかで有名やね
信長の嫁は、元城主斎藤道三の娘であるように双方かかわりが深い城
まぁ、稲葉山城をそのまま岐阜城にしたわけではなく、建てなおしたので別ではあるが

1山上の天守閣
岐阜城は、岐阜市内のど真ん中にある山の上に建つお城
通称金華山と呼ばれるこの山の頂上に忽然と建っている

2二つの登山道
金華山登山のルートは南からがこの2ルート
他にも東から七曲り、百曲りと呼ばれるルートがある
楽をしたいならロープウェーを使おう 今回は南ルートへ
しっかし絶対無理とは思い切ったフレーズを使いますな

3そこまで言う!?
大事なことなので二回言いました
赤字で強調までして・・・ここまで言われたら行きたくなるよねェ
ま、私は老人でも幼児でもないが おっさん?やかましいわ!

4あぁ、なるほど・・・
道を見上げてなるほど納得 これは厳しいですわ
雨の日だと滑りそうで怖い場所 晴れてればまぁ問題はなさそう

5天守が見えて来た
割とハードな山道ではあるけど、距離は短い
パパパッと登って頂上到着 この登り口は天守のすぐそばに出るようだ

6山のふもとの長良川
岐阜城のある金華山のすぐ麓には長良川が流れている
山の上かつ川に守られているこの城、立地としてはとても良さそう
ただ、長良川といえば氾濫 城下町はよくダメージを受けたやろうな・・・

7石垣が残ってる所も
天守台がある本丸、ここには少し石垣が残っている
信長築城時、というわけではないが、天守復興の際に積み直されたものだ
当時の石をそのまま使っているそうな

8井戸と石垣
下の方には井戸も残っている
山城だから水源は重要・・・ってこの台詞何回目だろうか

9ロープウェーからくると・・・
天守の東側にはこんな登り口がある
休憩所もあるので、緩やかな東側からくるとちょっと一息できる

10ナゾのリス村
ロープウェーも、天守の東側にある その道中にあるリス村
リスと触れ合える場所・・・ってなんでこんな場所に?

11一瞬で下れるね
折角来たのでロープウェーで下って行く
森を眺めながら、7分で下って行ける 麓には信長の居館跡も見られるのだ

12山のふもとの三重塔
岐阜城とは直接関係ないものの、三重塔も建っている
こっちは大正六年に建てられたもの 風水によって位置が決められたとか
付近は工事中で重機やビニールシートまみれなのが残念

13三重塔付近
三重塔付近は元々屋敷があったところのようだ
石垣がちょいちょいと残っているのが見られる ここも積み直しなのかしらん?

14この辺に石垣が多く残る
三重塔から信長の居館跡までの山沿いには石垣が多く残っている
川からは離れている場所なのでこの辺は当時のものな気がする 多分

15信長公の居館跡
今は土台と少しの石垣しか残っていない信長居館跡
どこまでの範囲かは資料が残っていないものの、高台部分とするとかなり広い
信長はここから天下布武を発令したのか・・・!発令?

岐阜城に関してはこんなものだろうか、今思い返すとあまり周囲を見ていないな
水の資料館やら昆虫資料館やら、城とは関係ない建物が多かった印象
まぁ、メインは登山やと思いますな 石垣やら天守やらはおまけだ!・・・違うか?
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四十六城目:岐阜県岩村城
2015-06-11 Thu 16:33
雨が降ったりやんだり、完全に振り回されている私です
明日…明日までの我慢や・・・!!

折角なんでこの隙に個人的にTOP3に入りそうな山城、岩村城を紹介
この城は標高717mの高所にある日本三大山城の一つ 後は高取と備中松山
城主は、遠い昔は遠山氏、戦国時代には武田氏配下、秋山信友が入ることになる

信友が城に入る時に戦ったのがかの有名(?)な信長の叔母、おつやの方
二本でも珍しい女城主として岩村城に居たのだ(夫と死別していた)
信友が侵攻してきたが、色々あって二人は結婚 岩村城は武田方に

最終的には信長が再度岩村城を取り返すことになる
その際に夫婦ともども処刑されてしまう・・・と、まぁ戦国時代っぽいエピソードだ
詳しく調べるとおつやの方が苦労したのが解って涙涙でござるよ
そのあとは戦国きっての暴れ者森長可他、すごい勢いで城主が入れ替わって行く

1麓にあるのは藩主の館
山の中腹、城の麓にあるのは藩主の館だった場所
石垣も残っており、太鼓櫓も復原されている

2立派な太鼓櫓
この藩主邸は、明治の初めに焼けてしまったらしい
初めに建てられたのは1601年、松平氏によって 以後松平が幕末まで治める場所に
平成に入ってから復原されたここ、根元からごっつい存在感な太鼓櫓が目を引く

3山を登って行く
ここからは藩主の気持ちになって、館から登城ルートへ
山の中をうねうねと登って行く 石畳が整備されているのが救い

4岩村城一ノ門
見えてくるのは岩村城第一の門
当時は櫓門だった一の門、隣には櫓が据えられていたそうな

5岩村城土岐の門
一の門に続いて見えてくるのは土岐の門
ここは初代城主遠山氏が土岐氏を破り、その居城の城門をここに移したとか
何とも物騒ないわれを持つ門である

6畳橋
当時はここの石垣を繋ぐ橋が架かっていた
その名も畳橋 由来は橋板が畳のように剥がせたから

7岩村城追手門
畳橋を渡ってすぐの所に追手門跡が残っている
この門の横に天守に相当する三重櫓が建っていたとか
まだまだ入口ですぜ?ここ

8今も湧く井戸
岩村城には井戸がいくつか残っている ここは今も湧くそうな
沸かしたら飲んでもいいのか・・・?ちょっと遠慮したいですぞ

9櫓跡から追手門跡を見下ろす
三重櫓が建っていた場所から追手門を見下ろしてみる
櫓の上からだとかなり下になりそう ひーこわ

10曲輪を突っ切る登城道
左手に八幡曲輪を眺めながら、本丸へと突っ切って行く登城道
石畳はここから砂利道へと変わって行く

11八幡宮あと
八幡曲輪の奥には、このお城の八幡宮が造営されていた
今は建物も残らず、跡地に向かう階段だけが残っている

12石垣も建物もひし形
二の丸へと続く登城道、その途中にある曲がり角は石垣が菱形になっていた
ここの上に載っていた櫓も菱形だったそうで、名前は菱櫓 まんまやな!

13本丸六段の石垣
岩村城一番の見どころ、本丸の六段石垣
急峻な地形を存分に活用したこの石垣、当時は櫓なり城壁があったのだろうか
ここを突破するのは並大抵の苦労ではなさそうだ

14二重櫓跡
ここの石段を上がってすぐにある東曲輪、そこにあった二重櫓の跡
礎石ではないが、切株で櫓の位置を示してる・・・のかしら

15長局埋門を望む
本丸に登るために通る、長局埋門跡 ここから城下の眺めも良い
・・・ハズだが、当日は雲と霧で良く見えなかった、無念 

16地味な本丸
石垣達が派手なのに対して、本丸はとても地味
まぁ、何も建物がないのでしょうがない・・・東屋だけではなぁ

17本丸の埋門
本丸にはもう一つ埋門がある
こっちは出丸方面へと降りる逃げ道の一つだったのだろう

18出丸を見下ろす
埋門から出た道中、出丸を見下ろすスポットがある
櫓が残ってるのか!?とテンション上がったけどあれはトイレであった

岐阜の山奥にある岩村城、ここが明治時代までしっかり姿を残していたことも驚きだが
武田と織田の争点ともなった場所であることも中々に印象深い
まぁ、双方が本格的にぶつかる前と大勢を決した後に争奪しあったわけだが

壮大な石垣を誇る、日本屈指の山城 堪能させていただきやした
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四十五城目:愛知県犬山城
2015-06-09 Tue 17:58
続いて攻略 日本最古かつ国宝の天守を持つ犬山城へ
名古屋からすぐそこなんだよね ちょっぴり離れただけで結構田舎になった思い出
犬山城は別名白帝城とも呼ばれ、1537年に織田信長の叔父信康が築いたとされる
さらに秀吉VS家康の戦いである、小牧・長久手合戦において秀吉が入場した城でもある

1犬山城入口
犬山城自体はそこまで広くはない 残ってる分はってことだけども
戦国黎明期に造られた割には平山城ってのが珍しいかも?
天守自体は1600年前後に建てられたってのが通説らしい

2空堀だったとこかな?
駐車場兼入口から先に進むとみられる堀のような道路
空堀のなれの果てっぽい 多分

3紅葉が残っているところが・・・
駐車場から堀をまたいで、本丸への石階段を登って行く
この日はあいにくの雨模様 カメラの光調節がド下手糞だ・・・
紅葉が残っているのが季節を感じさせる(十二月一日登城)

4天守ばかりではなく、石畳も素晴らしい
本丸に向けての石畳が中々素晴らしい 犬山城と言えば天守がもてはやされがち
個人的には紅葉の美しさもあり、道中の石垣石畳が気に入った城であった

5本丸への入口
本丸手前まで行くと城門が出迎えてくれる うーん、御立派

6櫓門だな
振り返ってみると、櫓門なのが良くわかる
うねうね登るし石垣がそびえるし、攻めるのは難儀しそう

7本丸は狭い
本丸自体はとっても狭い 城とお茶屋くらいしかないし・・・
雨にぬれる範囲が少なくて済むのはうれしい なんちゅう感想や

8見下ろすとこんな感じ
建築当時の材木も多く残る天守、登ってみて本丸を見下ろすとこんな感じ
狭っ! そういや正面のお茶屋で食べられるみそおでんがそこそこいけた記憶が

9すぐ裏が川
犬山城はすぐ裏が川になっており、小高い山の上と合って防御効果は抜群
川のそばに築城ってのは戦国時代の常識でもある
城下町を造って増水して被害が出るのもよくあることだった

10野面積みの天守台と杉の木
犬山城の天守台は野面積みで組まれている 
すぐ横にある杉の木、これは雷が落ちて枯れてしまったものだとか
当時の人は天守の身代わりになった、と注連縄を巻いて祀っていたそうな

11川へと下りる七曲り門
天守の裏手に出ると、川のそばの崖に出る
昔はここから七曲りの道が続いており、川まで降りられたようだ
そこにあった門は、七曲り門 まんまやな・・・

現存天守のうち最古のものとされる犬山城、実際訪れると狭さにびっくり
破風の形や石落としなんかも特徴的だったはずなのに写真に撮られていない
雨やったからって適当に周りすぎやろ私ィ!!

まぁ、しょうがあるまい 気になる人は実地へGOだ!(ぶん投げ)


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四十四城目:愛知県名古屋城
2015-06-09 Tue 11:23
ここからしばらくは雨が続くのかな?約一ヶ月半ぶりのお城記事は名古屋城
大阪城や江戸城などと比べると(保存されている部分は)広くないが、見所は十分
訪れたのがほぼ半年前なので記憶が・・・パンフ引っ張り出して必死に思い出す

1名古屋城正門
名古屋城の正門がまずこちら 戦争で焼けちゃったため天守と一緒に復原された
ここから入る場所は西の丸にあたる 三の丸は公共の建物がいっぱいだ

2空堀になっている
正門からも見られる外堀は、水の入っていない空堀である
外堀とはいえ、戦国時代にはさらに外に堀があっただろうけどね
本丸、西の丸の外だけに結構深く掘ってあるのが解る

3西の丸からの天守
正門から入ってすぐの所から名古屋城天守が眺められる
一段高い所にあるだけあって大体どこからでも見られるけどもね

4寄り道して二の丸大手二の門
西の丸を東に、二の丸方面に向かって歩いて行くとみられる門
二の丸と外側を繋ぐ二の丸大手二の門である 今は体育館につながっている場所
何気に築城当時の建築物のようだ

5本丸にある西南隅櫓
正門から歩いてきた方を振り向くと見える本丸西南隅櫓 天守はここから右手になる
改めて見返してみると結構人が多いなぁ さすが名古屋城

6本丸表二の門
西の丸から本丸に入るために通る、本丸表二の門
ここも築城当時から残る建築物だとか 空襲で焼けなかったんやねー

7改装中の本丸御殿
門をくぐり本丸に足を踏み入れると、目の前には本丸御殿
まだまだ改修が続いている場所で、公開部分も真新しい

8豪華絢爛な内装
内装も非常に綺麗かつ豪華 天井なども凝ってる
綺麗すぎて落ち着かないのはなんでだろうか うーむ

16改装中の本丸御殿
改装工事中の場所も見学出来たりする かなーり大規模だ
全てが終わったらまた見に来るか いつになるかはわからんが

9清正石
本丸石垣の中でひときわデカいこの石 清正石というらしい
余りにデカいので、清正が上に乗り音頭を取って運んだとか 更に重くしてどうする
ちなみにここの施工担当は黒田長政だったようだ 何故清正くんがでしゃばるのだ
デカいから築城名手の清正に・・・っていっても長政もかなりの築城名手なんですがね

10旧二の丸東二の門
気を取り直して散策を続ける ここは本丸と二の丸をつなぐ旧二の丸東二の門
なんだか似たような名前の門だらけで頭がこんがらがりそうだ

11二の丸は広場に
現在二の丸は、芝生メインの広場になっている
南側は、二の丸大手二の門につながる愛知県体育館の敷地へつながっている

12埋御門
実は本丸と二の丸の間の堀には脱出用(?)の埋御門があったそうな
実際使われることは無かったようだが・・・用心深い家康らしい配慮な気がする

13あの石碑の下あたり
右手の石碑の下あたりに門があったようだ 今は文字通り石で埋められている
しかし堀に門があったってこたぁ当時からここは空堀だったのかしらん?

14二の丸北は整備中
二の丸北から本丸を迂回して御深井丸へ行くルートが工事中だった
この道が完成すれば本丸の周囲をぐるりと一周できるようになる

15南蛮たたき鉄砲狭間
この北側の堀に面した部分には「南蛮たたき」で固められた練塀があったそうだ
下の方には鉄砲狭間と思しき空間がある この練塀は非常に堅固だったらしい
今は少ししか残っていないが、遺構があるだけでお割とレアだそうな

17高い石垣の天守
本丸に戻り天守台の麓へ 見事に反り返る石垣だ、なかなかの迫力
築城名人の清正が手がけただけはあるのう 眼福眼福

19.5ナゴドが見える
天守内部は資料館のようになっている
一番上からは名古屋の街並みが見渡せる ナゴドも見えるで!
当時はオフシーズンやったんやなぁ・・・(しみじみ)

18ちらと見えてた不明門
天守を見上げる写真でちらと写っていた不明門
先程記した御深井丸に続く門であるが、当時は名前の通りがっちり閉じられていた
ここも脱出口の一つだったのであろう

19乃木倉庫
御深井丸にある遺構の一つ、乃木倉庫
ここだけは明治時代、陸軍が弾薬庫として建築した後世のもの
その割には建築年代がハッキリしていないよくわからん建物

20外から見ると中々の迫力
御深井丸は、天守台から一番近い場所だけあり小天守含めよく見える
名古屋城と言えば金ぴかの鯱である どんどん金含有量は減ったけど

21昔はこんなんやったんか
何処で見たかは忘れちゃったけど、本丸御殿とセットで天守が映る写真もあった
ここまで復元できるのだろうか?しかし本丸のほとんどを御殿が埋めてたんだなぁ

22家康殿
最後は家康像の前でほっと一息 家康は兜ですぐ判断できる

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八 

こんな歌も出るくらいやしねぇ
まぁ、この歌と名古屋城は何の関係もないわけだけど(笑)

久しぶりにお城記事書いたらなんか疲れたなァ
でもまぁ、雨が降っているうちに書けるだけ書いてしまおう 

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四十三城目:愛知県岡崎城
2015-04-25 Sat 17:26
リアルタイムではとうとう七十五城目を制覇したところ 記事はまだ半分以下
いつ追いつくんやろうか・・・
今回は愛知県二番目のお城、岡崎城 家康の生まれた場所でもある

1城の南を流れる乙川
お城の例にもれず、城の周りは川に囲まれている
大きく見える川は乙川 河川敷が広めで散歩にも向いてそう

2龍城堀
乙川より一つ城の敷地内に入ると、龍城堀が見えてくる
かつての堀の一部であろうが、天気も相まって美しい青色

3神橋を渡って岡崎城へ
その堀にかかる神橋を渡り、岡崎城天守へと近づいて行く
三の丸は駐車場や住宅街になっているので・・・

4いきなり目の前に本丸が
一足踏み入れるとほら天守閣がお出迎え 復元だけどね

5龍城神社さん
天守のすぐ近くには龍城神社がある ホントにすぐ近く
御神体は・・・なんだったっけ?

6なんやお前(驚愕)
誰やお前(驚愕) とてもダルそうな動きがなんともいえん
おかざえもんとかいうキャラらしい

7城周りの空堀
本丸の周りには空堀がちらほら残っている 案内にはないけども
形としては残っているけど、あまり重要ではなかったのか?それとも龍城堀の一部?

8岡崎城二の丸能楽堂
岡崎城の二の丸には能楽堂がある まだまだ現役、正月に使われている
中を見ることもできるようだが、追加料金が必要だとか
簡略化されているというか、全体的に小ぶりな舞台だと思う

9舞いながら時を知らせる
二の丸にあるからくり時計 家康公が舞いながら時間を知らせてくれる
最後に遺訓を述べてくれる・・・らしいが、当時は故障のため聞けず

10二の丸井戸跡
二の丸の端っこには井戸跡もある 岡崎城唯一の井戸だった

11けったいな電話ボックスやな!
岡崎城はちと普通でない・・・けったいなもんが多かった気がする
電話ボックスに天守って感性がよくわからん 重そう

12岡崎城大手門忘れていた
乙川から城に入って行ったが、そっちは裏っ側だったらしい そら本丸も近い
大手門は国道一号線沿いにあり、昔は東海道を旅する人の目に留まっていたのだろう

13駐車場隅にある隅櫓
昔の三の丸だったであろう駐車場、その隅には櫓が残っている
小さいものであり、中には入れなかった

14ここんも家康公銅像が
二の丸から本丸に戻る方向に、松平元康像はある
まぁ、家康公ですな 当時の名前って色々あってややこしいですよなぁ
徳川次郎三郎源家康ってね 征夷大将軍は源氏なので足したり 割と適当

15龍城堀は何処から眺めても美しい
戻ってきたら、龍城堀がまた目に入ってくる この堀ってどこから見ても綺麗

16龍城堀近くのお茶屋
行きしなに見落としてたお茶屋さんも、帰りには目に映る
残念ながら、今の時間ではもう終わっていた
他にも季節外れの藤棚などもあり、春に来るといいかも?

天守閣の中には資料館もあるが、撮影はできない
5階層にも及ぶため、見所はそこそこあると言えるかもしれない
家康といえば、「海道一の弓取りではあるが、特に弓の資料は多くない
同じく名を馳せた今川義元もいた駿河城にもなかったから仕方ないのかもしれない

お次はすっごく大きなお城、名古屋城の解説になるだろう
さぁて、いつになるかな

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