約一年かけてぶーらぶーら日本一周 100名城も巡るよ!

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四十九城目:滋賀県小谷城
2015-06-22 Mon 21:35
滋賀県彦根に入った翌日、うっかり忘れていた小谷城を訪れた
焼肉が楽しみすぎてついつい彦根まで直行してしまった

てなわけで今回は影の薄い小谷城の紹介といこう
小谷城と言えば浅井長政最後の地 お市と父と自刃したとされる
浅井家は評価自体がすごく分かれる大名家ではなかろうか

一般的な印象では、信長の妹と政略結婚して同盟を結ぶ
その後朝倉家と織田家の確執からどちらにつくかを悩み、前者について一緒に滅ぶ
長政は戦術に長け義に厚いが優柔不断な大名・・・こんな所だろう

浅井家は三代にわたる大名家で、武勇にものを言わせ下剋上した一代目亮政
弱腰外交とよばれながら周囲との融和政策を行った二代目久政
この二代で京極氏や六角氏とややこしい関係を続けていた

結果的に久政が暗愚で長政に取って代わられたような説もあるし
国力を高めるために六角氏との融和政策を取り、長政への転換でそれを破棄
なーんていう力技を行ってたとか180度評価が違う面白い家でもある

最終的には織田信長に滅ぼされてしまう(攻め落としたのは秀吉だが)小谷城
実際どうだったのかは歴史の謎の一つなのであろう

1小谷城
さて小谷城である この日は晴れて気分よく到達
滋賀県の中でも長浜のさらに北にあるこの小谷、周りには何もない

2清水谷の周囲三方が小谷城
小谷城は、平地である清水谷、清水道をU字型に囲むように建つ
城が建つというか、U字型に並ぶ山上に築いたと言った方が適切か

3登山道がある
小谷城へは、上の写真の道をまっすぐ進むとU字のボトムに到着する
ここの登山道から行くと一筆書きのように登城することができるのだ
しかし・・・一週間前に降った雪が残っているとは思いもせなんだ

4快調に真柄峠を越える
山の麓から尾根を通り、山上へと向かっていく
まず最初に目に入る案内、真柄峠 由来は朝倉家家臣からついた
浅井家と六角家が争っていた時に朝倉家が救援に来た際にここに陣取ったとか

5初めに見える金吾丸跡
真柄峠から少し登ると見える金吾丸跡
ここも朝倉家家臣の名前から取ったそうだ
ここまでが城郭の入口のようなものだそうな

6番所跡
金吾丸のすぐ裏にある番所跡 城の入口っぽい
私が歩いてきた登山道と、清水谷から続く虎ヶ谷道が合流する場所でもある

7お茶屋跡
番所のすぐ上にあるお茶屋跡 ここからが城の主郭である
ほんのりした名前とは裏腹に、防御すべき最前線であり、バリバリの軍事施設

8間近に見える伊吹山
お茶屋跡からは伊吹山がとてもきれいに見える
こういう眺めからほっこりする気分でお茶屋跡なのか?

10雪まみれの馬屋敷跡
お茶屋から一段上がると御馬屋跡へ 本丸手前の防御曲輪
この辺から雪の量がなんかすごいことに 嫌な予感しかしない

9馬洗い池
御馬屋跡のすぐそばにある馬洗い池 実際にあらったのだろうか
というか結構ハードな山道、登ってくるお馬さんすごい
昔のお馬さんは今のよりずっと小柄だったそうだけどね

11首据石とは
近くには首据石と呼ばれる場所がある 物騒な・・・
きっちり実際に首は晒されたそうな

13桜馬場跡
本丸までもう少し、ここは桜馬場跡
細長く伸びる曲輪になっているね

12黒金門跡
桜馬場跡に背を向けて、本丸へと向かう途中にある門の跡
大広間跡入口である黒鉄門跡である 鉄を使った門だと伝わっている

14大広間あと
別名「千畳敷」と呼ばれる大広間跡へ
広い。あ、うんこれくらいしか言うことがない

15本丸下の石垣
大広間跡から本丸へ向かう、本丸下には石垣が残る

16本丸跡
本丸上は雪しか残っていない この辺まで来ると足跡もない
一週間以上人が踏み入れてない場所か・・・

17幅広く削られている大堀切
本丸の南側は先程のように石垣があり、北には大堀切がある
本丸が中心だぞとがっつり主張しているな
堀の幅が広すぎて曲輪かと勘違いしそうだ

18中丸手前にこっそり残る石垣
本丸から中丸へと向かう途中にこっそり残る石垣 
雪に埋もれているところも多いのでどこに何があるか油断ならん

19三段に渡る中丸跡
その中丸は三段からなる曲輪である
奥に向かって一段、二段と伸びているのが見えるね

20京極丸跡
京極氏の館があったとされる京極丸跡 しかしこの時代京極氏は別の場所に
城ができる前に住んでいたのだろうか 京極氏もこの辺やったし
ちなみに小谷城はここがまず秀吉によって攻め落とされた場所になる

21久政のいた小丸跡
京極丸から少し北に上がると見えてくる小丸跡
ここが久政が居た場所であり、長政と分断された結果自刃するハメに
戦闘向きの場所ではない小ささ

22山王丸跡
そのまま進み主要城郭部の北詰である山王丸跡へ
ここは本丸よりも規模がデカかったりする

23六坊跡まで下る
山王丸からは山を下って行くことになる
ここからは完全に未踏の地状態である 足冷たい!
サンダルで登る場所ではない めっちゃ滑るし!

24六つの寺院がまとめられておかれたから六坊跡
ちょっと広めの曲輪についた ここは六坊跡
昔の寺院は政務や米など結構政治的な役割を占めていた
それが散らばってて不便だということでここにまとめたのが久政だ

25わぁ誰も踏み入れてないや(棒)
六坊跡からは、更に山を登って行くことになる
うわぁ誰も足を踏み入れてないや(棒読み)

26大嶽城跡
深い雪に足を取られ、体温を奪われ、しもやけを覚悟しながら登る
雪のない所で一休憩して足をさすりまくるという荒業だ 冷たいんだもんよ・・・
大賀小谷城で一番高い所(495m)にある大獄城跡 昔の本丸だそうな

27いい景色だなー
冷たい足元とは裏腹に晴れた天気、眺めも上々だ

28清水谷を見下ろす
大獄城跡は、小谷城U字のボトムより少し端に進んだところになる
清水谷が良く見えるかなーと思ったけど、思ったより細くなってしまった

29琵琶湖が見える
西へと目をやると、琵琶湖と竹生島が見える
竹生島は昔から神聖なるものとして扱われていた琵琶湖の象徴
浅井家も神社に積極邸に寄付して、北近江の実権を握っていた

30福寿丸跡
ずんずん先へと進んでいく 雪がきつすぎてさっさと降りたいのだ
小谷城の主要城郭から清水谷を挟んだ山にある遺構は少な目だしね
ここがその一つ、福寿丸跡 ここは朝倉氏が救援した時に築いたそうな

31尾根を下って行く
尾根をずんずん下って行く 標高が下がるごとに雪が減って行くのがわかる
あぁ、乾いた地面万歳・・・

32山崎丸跡
福寿丸から少し下った先にある山崎丸跡
ここも朝倉家が築いた場所とされ、小谷城主郭より高度な技術が見られる
一乗谷に城を築いたのもあるし山城はお手の物だったのか

33解りにくいけど土塁がある
写真ではわかりにくいけども、土塁もきっちり残っている

34ひっそりと祠が
山のふもと近くには浄水場らしき設備と祠が
ここの祠は昭和製らしい

35ゴール!見事山を一周
下まで降りて小谷城見学完了!無事(?)一周できた
目に見える範囲は全部歩いてきたと考えると中々見応えはあった
足元が雪でサンダルということもあり予想以上の時間がかかったわ・・・

冬の岐阜と滋賀はナメてはいけない 雪凄い
彦根に住んでたくせに全く経験を活かせてないって?
彦根城雪残ってなかったし!まぁさらに北で山城やししゃーないか

冬の山城は装備にも気を付けよう!お兄さんからのアドバイスだ!!
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