約一年かけてぶーらぶーら日本一周 100名城も巡るよ!

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二十七城目:群馬県箕輪城跡
2014-11-14 Fri 14:49
さて今回は秘境グンマー群馬県唯一のお城箕輪城
ここの城主もお決まりの武田~織田~その他コースである
一度北条氏が座ってから最終的に井伊直政が城主となることに

武田・上杉・北条と強豪ひしめくこの地、北条氏が大きな改修を行っていた
現在に一番色濃く残るのは北条氏の築城技術であることが示している

法峯寺正面
箕輪城跡・・・に来たのはいいが入口がわからん
先に箕郷公民館で地図を貰って来たのにこの体たらくである
とりあえず正面から攻めてみた

ここは別名「水の手曲輪」と呼ばれるお城の水源だったよう
しかし正面の寺は改修中だし、観音様口とかいうのは道が見当たらないし
どないすんねん・・・・

山道やんかこれ(大手尾根筋)
結局ちょっと外れたところから侵入することに 大手尾根筋らしい
大手とかのたまってる割に完ッ全に山道なんですがそれは

木俣
道なりに登っていくと、木俣と呼ばれる場所に出た
これは地形を表す言葉で、「木」のように五方向にわかれている所を示す
この名字の友人がいるが、地名ではなく地形だとは知らなかった

二の丸と馬出を隔てる大堀切
ここからは馬出経由で二の丸と、堀を歩いて虎韜門(ことうもん)へと行ける
これは馬出と二の丸の間の大堀切 スズメバチがいるので撮るだけ撮って迂回

虎韜門跡
門の跡に到着 ただの駐車場になっているが・・・
一応、映っているのは当時の石垣とのこと

箕輪城端っこの埋門
ここからちょっと南に下ると埋門が見られる 群馬では唯一の埋門
山に城を築いて、さらにその麓に土塁を築く さぞかし堅城だったんやろなぁ・・・
攻め落としたとはいえ、武田信玄も攻略には難儀していたようだ

鍛冶曲輪の石垣
虎韜門からは、鍛冶曲輪を経由して三の丸へ入ることができる
鍛冶曲輪はその名の通り鍛冶仕事を行っていた場所 石垣で補強されている

当時の三の丸石垣
三の丸も石垣で補強されている
西側は石垣 東側は堀で囲まれている

箕輪城三の丸跡
その三の丸跡 広い、というしかない広さ
小諸城の何倍あんねんこれ山を削ってよくこんなものが掘れるもんだ
人間のちからってすげー!

三の丸と二の丸の大堀切
三の丸東・本丸南の大堀切 昔はこの倍の深さがあったという
…マジっすか 20m以上になるんですが

箕輪城二の丸跡
三の丸から二の丸へ 本当は木俣~馬出から二の丸・三の丸とスムーズに進める
が、スズメバチのせいで迂回する羽目に ブンブンやかましいし正直怖い

箕輪城二の丸跡
二の丸はちょっぴり狭い けど大事なとこやで?
馬出・三の丸・本丸・搦手方面と四方に出陣できる場所

搦手方面へと下る道
搦手方面へと下る坂道 この下に駐車場が新設されたらしい
スズメバチを先に駆除してくださいな いやホントに

門を復元中みたいね
箕輪城本丸へ向かう 今ちょうど門の復原に向けての工事中のよう
だからその前にスズメバチを駆除してくりゃれ(しつこい)

箕輪城本丸跡
本丸跡はありきたりな石碑さんがこんにちは
守りの拠点だが何もない ただ広い

本丸裏手の御前曲輪
裏手には御前曲輪と呼ばれるスペースが
祭祀的な使い方をしていたとは言われている

御前曲輪北の堀
曲輪の北側の堀 東から南西までがっちりカバーしている
折角なのでここを歩いて山を下っていく やっぱ高いわここ

本丸西側の橋のあと?
本丸西側まで南下すると、ちょっと高くなっている部分がある
これは橋の土台として使われていたのではという説が
先には家臣たちの屋敷があったと考えられている

これだけ見て回れば十分だろう 広いうえに高さもあり入口が解りにくい
なんというか厄介な城という印象がぬぐえない よく攻め落としたもんだ
平成17年に100名城に認定されたのに23年まで整備が始まらなかったらしいし・・・
なんというか格差を感じた日であった
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