約一年かけてぶーらぶーら日本一周 100名城も巡るよ!

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二十三城目:長野県上田城
2014-11-12 Wed 14:45
ガンガンいこうぜ!
さて今回はかの真田幸村の父、真田昌幸が築いた上田城となる
ここ、広いうえに見どころがたっぷりなので画像もたっぷりという筆者泣かせな城だ
さすが戦国最強親子との異名を持つ(?)だけはある

上田城入口
まずは入口から、駐車場があるのは東側の二の丸橋を渡る入口から
この下は深い堀になっている

二の丸橋
この橋はちょっと変わった彫刻が施されている
顔文字ではなく、「ニノマルハシ」である 間違えないように

東虎口櫓門
二の丸跡は、市立博物館となっている
それを横目に本丸跡内に入る東側の虎口櫓門へ
南北の櫓により防御力は十分だっただろうか

北櫓
こっちが北櫓

南櫓からの眺め
南櫓横からは上田市内も眺めることができる
土塁石垣がすんごい高く積み上げられているので結構な迫力
昔はこの真下を千曲川が流れていたそうな よくある天然の外堀だったのだろう

真田石
北櫓の石垣には、真田石と呼ばれるでっかい岩が使われている
のちに真田信之が松代に移封の際に持ち去ろうとしたが全く動かなかったらしい
こんなもん下から抜き取ろうってのが間違ってるわ

真田神社のご神体!?
入って正面には真田神社が建てられている
これは・・・ご神体!?(違う)

真田井戸
ここには城内唯一の井戸があり、真田井戸と呼ばれている
この下は隠し通路があり、場外に通じていたとか 本当かは知らん

上田城本丸跡
本丸跡には石碑が これ以外にも小さいものがポツポツと
桜の木も植えられているようだ

上田城の堀は深い
本丸を取り囲む内堀 その内側はさらに土塁が築かれている
深い、すんごい深い

本丸土塁の隅欠し
上田城の本丸土塁はちょっと特徴的な部分がある
鬼門とされる丑寅(北東)隅部分を切り落とし、鬼門避けとしているらしい
かなりザックリえぐられていた

真田幸村と十勇士
内堀の周辺を真田十勇士(?)が練り歩いていた
おもてなし武将隊・・・なのかな 結構流行ってるなぁこういうの

近づけない西櫓
本丸内に視線を戻すと、南西部に櫓が ここには近づけない・・・
櫓によくある矢狭間・鉄砲狭間もしっかり確認できる

西櫓脇から降りられる
めっちゃ急
この櫓の横には急な階段があり、南側に降りることができる
元千曲川の堀部分になるのかな?かなり急なので結構怖い

こんな高さに
降りた後に見上げた西櫓 た、たけぇ・・・

チラ見えの水抜き穴
そのまま東に向かって歩いて行ける 城側は石垣がびっちり
チラっと見える水抜き穴に注目 雨が多いとこういうのも必要なのだ

南櫓下
そのまま歩くと、東虎口櫓門南櫓の下に到着 ややこしいわ
石垣が剥げている部分は、当初から石垣ではなく露出した岩盤だったらしい
現代ではモルタルで再現しているとのこと しっかし三段の石垣とはすげぇ高く見える

土塁の外にプラットフォーム
城の外堀沿いを歩いて行くと、二の丸橋の下に出る
この堀は、一時期私電の線路が通っていたため、プラットホームの跡が残っている
えらい窮屈な所を走っていたんだなぁ・・・

北虎口
ぐるーーーっとまわって北口へ ここの虎口はカクカクしている
当然門もあったのだろう

石樋
城の北側には、城外堀の水抜きだった石樋が顔を見せている
昔は木の樋だったらしいが、1702年に石の樋に替えられたとか

こんなふうに全体を回るだけでもかなりの広さだと分かる
これでも敷地内の一部は陸上競技場やテニスコートになっているのだ
ここで真田親子は2度も徳川を撃退しているのだから空恐ろしい
関ヶ原の時なんか2500対38000で秀忠を足止めしてたというから・・・ひぇー

ちなみに真田昌幸とその息子幸村は三成側 信之は家康側についていた
信之の親不孝者・・・ではなく一家断絶を防ぐため割と戦国時代では見られた光景
現に信之は関ヶ原の戦いのあとこの上田城を与えられることになったのだ
本当に昌幸さんは食わせ者やでえ・・・
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