約一年かけてぶーらぶーら日本一周 100名城も巡るよ!

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五十二城目:三重県伊賀上野城
2016-04-27 Wed 01:42
さてさて書ける時に書かないといつまでたってもなくならないのだ
観音時城で滋賀のお城は終わり、次は三重へと向かうことに
一発目は・・・・

1伊賀上野城
そう、伊賀上野城だニン 伊賀流で有名な忍者もいるニン
拙者怪しい者じゃないニン ・・・アイエエエ!?ニンジャ!?ニンジャナンデ!?コワイ!

伊賀忍者といえば服部半蔵を筆頭に徳川家康お抱えとして有名かなと思われる
ほかの有名どころだと百地三太夫あたりだろうか 金があれば味方になるタイプ
伊賀忍者は傭兵に近く、山を挟んだ甲賀忍者は君主を定めるという違いがあった

2こっちは裏口っぽい
観光案内所からスタートしてみると、どうやら裏口のようだった
ちょちょっと裏から失礼しますよ・・・

3筒井城あと
奥に見えるのは伊賀上野城天守 ここは筒井城跡とされている
元は筒井氏が建てた城で、藤堂高虎が後から入ったお城
築城の名手によって見事に改築された まァ、伊賀上野城の一部ってことやね

4やたらきれい
伊賀上野城周辺は上野公園として整備されており、博物館なども多い
筒井城も例に漏れずといったところか 跡はきれいに残されている

5外周沿いに下る
筒井城跡の外周を回って下っていく ここもきれいに整備されている
歩いてて気分がいい、というか落ち着く

6ふりかえ~る~と~
振り返ると城の虎口が見えていた 間口が広いなァ

7曲輪へ
曲輪に行くと芝生が広がっていた まさに公園
昔は色々と建物があったんだろうなァ

8伊賀上野の町
伊賀上野の町も見渡せる場所 ここ、標高どうだったっけ・・・
ここ訪れたのは2014年末だもんなァ・・・忘れちゃいますよねこんなん

9天守へ向かおう
さて、天守へと向かおう 石垣と石畳がずーっと続いている

10威風堂々?
本丸入って、天守近くまで寄っていく ここの内部は資料館になっている

11忍び井戸
伊賀上野の水源、忍び井戸 深さは五十間(約90m)もあるそうだ
逃走経路としても使える抜け道と合流する隋道が3本掘られていたという
城の地下には四方に延びる抜け道があり、忍びの者しか知ることがなかったとか

12高虎のかぶと
資料館には色々面白いものもある この高虎の兜とかね
幅広すぎやろこれ・・・振り向いたら誰かの頭ドツきそうな勢いやわ

13本丸を見下ろせ
天守上段から本丸を見下ろせる 今は本当に平和でござるなァ・・・

14美しい高い志垣
伊賀上野城の西側は堀と高石垣で囲まれている 奥に見えるは小学校
これでも敵忍者にかかれば余裕で登ってこられそう ショッギョムッジョ!

15かいらしい門やね
お城の北側に建てられたこの門、藁葺きのこの建物はなんなんやろうか
ちょっと入ってみることにしよう

16俳聖殿
中にあるのは俳聖殿 松尾芭蕉を讃えた建物だった
まぁるい屋根が旅笠、俳聖殿の木板が顔、ひさしが蓑と衣をあらわしている
壁部分が胴体で、柱が杖とこの建物自体が芭蕉翁てことなのか
なかなか面白い表現方法ではないかな?

17NINJA!
俳聖の隣にはNINJA!忍者博物館があるではないですか
これは行かなきゃ行けませんな 有料?アッハイ

18実演ちう
中では忍者が案内してくれる よくある回転壁やら掛け軸やら
甲賀の忍者屋敷でも見たぞこれェ!

19怪しい・・・怪しくない?
この明王さん怪しい・・・怪しくない?_

20忍者グッヅ
ここは資料館らしく、忍者グッズ展示と解説もある
小学生のころは忍者にあこがれたこともあったな・・・うん・・・

21いい石垣
NINJAにも満足してもう少しくるりと周って帰ることにしよう
堀の外から見ると中々の石垣 やっぱ迫力あるなァ

この日は昼真っから忍者尽くしだったおもひで
ちょっと離れたところでは忍者衣装レンタルも行っているそうだ
一風変わった格好でお城を散策するのも楽しい・・・かも


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五十一城目:滋賀県観音寺城
2016-04-26 Tue 17:07
おっ城っおっ城ォ~!
今回紹介するのは安土城のすぐそばにある観音寺城だ
標高433mの繖(鉄人きぬがさ)山に築かれた日本中世における本格的山城である

城の出自は思ったより古く、南北朝時代に遡るようだ
まァ、本格的に城郭として完成したのは1500年代のようだが
戦国時代は六角氏が居城としたが、浅井氏に敗北してからは城も徐々に寂れてしまった

1桑實寺
繖山の入り口の一つ、桑實寺 日本における養蚕発祥の寺院だとか
寺院の本堂はここからそれなりに登らないといけない

1.5石垣が目立つ
寺院の付近にも美しい石垣が目立つ
麓から防御を固めるスタイルだったのだろうか

2寺の参道か
桑實寺へと向かう参道を進んでいく よく整備された石段だ

3山を歩く
ほどなくして山道に入っていく 足元は相変わらずの石段
冬だからか特に虫もいない 花もない

4石垣発見
観音寺城の入り口、石積みの虎口を発見
この城は戦国時代の中世城郭としては珍しい総石垣の山城だった

5頂上にさびしく残る看板
今となってははっきりとわかる遺構は見当たらない 城跡を示す看板が寂しく残るのみ
縄張り自体はかなり広い範囲にまたがっているんやけどね

6所々に残る曲輪
こんな感じにところどころに曲輪が残っている
大抵は木がもっさもさになってるけどな!

7土塁の姿も
総石垣の城とはいえ、土塁がないわけではない
特に北側には大きな土塁が長~く連なっている姿を見ることができる

8屋敷跡
曲輪にはいくつか屋敷が建っていたようで、誰々の屋敷跡 と表記もある
礎石も見当たらないようなところが多いんやけどね・・・

9石垣と階段
城の中で最大の虎口である平井丸南側 両脇の意思はなかなかゴツい
表参道と城への入り口はこちらにあたるようだ

10遺構は埋もれてる
石垣は大体こんな感じに埋もれてしまっているのがほとんど
改修は進んでいくのかしらん

11たけやぶ
竹やぶを進むぞ 春は筍いっぱい取れそやなー!
京都人にとっては筍はごっつぉなのだよ

12石垣は多い
埋もれているところも多いけど、登山道沿いにはっきり見えるところも多い
もっと整備したらいいと思うんやけどなァ、観音寺城

13安土の町
少し開けたところに出ると、安土・・・ではなく石寺や老蘇の町が見下ろせる
この付近で日本初の楽市が開かれた記録が残っているそうな

14観音正寺
観音寺城から少し下った所にある観音正寺 1400年前に聖徳太子によって開かれた
人魚のミイラで(一部で)有名だったが焼けてしまったそうだ
観音寺城成立当初はここを砦代わりとしていたとか

15戻って井戸跡
観音正寺を切り上げて再び観音寺城に戻っていく
今も残る井戸跡 水は・・・さすがに飲む気は起こらないなァ・・・

16堀切の跡
堀切の跡も発見 この辺が山城っぽい所だ
観音寺城は詳しい地図がなくて、どんな遺構があるのかが解りにくい
すぐそばにある安土城との格差を感じますぞ・・・よよよ


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五十城目:滋賀県安土城
2016-04-23 Sat 13:43
日本一周の旅も終わって一段落 しばらくのほほんだらだらとしていた私
自転車はメンテに出してて、代車のママチャリでロードをぶち抜くくらいしか楽しみがない
熊本派遣の件も連絡来ないし、仕事の連絡も来ないし、遊びはドタキャンされるし

なんかこう、噛み合わないと思う次第であります こういう日はブログ更新だ!
この記事でようやく半分の50城を紹介できる 後半分あるのか・・・うへェ

1安土城
そんなわけで記念すべき(?)50城目は安土城址
言わずと知れた織田信長の居城 日本で初めて天守閣を建てたという歴史上重要な城だ
中世城郭から近世城郭へ移る時代 その祖として建てられたもの

2大手門跡
安土城は、その名の通り標高199mの安土山に築かれた城だった
これも平山城としての先駆けなのかな?城下町の整備などはキッチリ行われていた
楽市楽座なんてのは特に有名なものだろう そんなお城の大手門跡から入っていく

3まだまだ整備中
入り口周りはまだまだ整備中のようだ

4大手道を行こう
入場料を支払い大手道を登っていく 掃除をされてる方の姿も
この大手道もかなり整備されている 左右の脇には水路もあるしね
幅広く作られているのは大人数が一度に通れるようにしたのかな

5秀吉の家跡
上の写真の橋を左に渡ると秀吉の家と伝わる場所へ
本当かは知らない この頃すでに長浜城主となってたしなァ

6上はこんな感じ
上に登るとこんな感じ なかなか広いね

7こっちは前田家
反対側は前田利家の家と伝わっている 利家といえば加賀百万石!
日度由と利家、どちらも安土城滞在時に住んでいたと考えるべきだろうか

8前田家の木樋
ここの特徴は木樋と呼ばれる機構
細かく組まれた石で水の流れを巧みにコントロールしている

9皿に上へ
左右を見学してさらに上へ登っていく 階段が一つ一つ少し高いのか
時折補助のようにおいてあるブロックがなんだか滑稽

10石仏
先へ進む階段途中の脇にある石仏 示されないと気づかんねこれ
仏さんを大事に・・・ってわけではなくて集めた石材の中にあっただけだったという
お堂を建てるわけでなくそのまんま使うってのがなんか信長っぽい

11森の中を進む
階段を登り本丸方面へと進んでいく 森の中を歩いている感じ
マイナスイオンがほんわかふわふわした気分

12黒金門跡
天守エリアの入り口、黒金門 階段を登った上に建っていたそうだ
この門周辺の建物が天守エリアまで連なっていたという調査結果もあるそう
まぁ、本能寺の変直後に焼けてしまったんですがね

13織田信雄四代供養
黒金門をくぐったあとにまっすぐ進まず左に寄り道するとあるのがこの供養塔
織田信雄四代供養だ 織田信雄は織田信長の次男とされている
これがまた親に全く似てない超絶無能として一部で有名な人物なのだ

親父の元家臣に領地取り上げられたりルイスフロイスに馬鹿にされたり散々である
安土城天守の焼失は彼が放火したからという説もある 相当酷かったのだろうか・・・
そんな彼も信長とその息子の中で唯一、73歳で天寿を全う 1630年の出来事である

・・・無能だったかもしれんけど生きてりゃ幸せだったのだろう

14結構石垣は残っている
織田信雄の生涯に思いを馳せながら黒金門に戻り先へ進む
建物は前述の通り焼けてしまったけど石垣はがっつり残っている

15仏足石
石垣に使われていたこの石、仏足石と呼ばれるものだった
奈良の薬師寺のものが有名で、普通はこんな使い方はされない

16この先が二の丸
ちょちょっと進んで二の丸の手前へ この階段を登れば到着だ

17信長公本廟
二の丸には信長公の本廟がある 信雄とは違うのだよ信雄とは
立派なこの本廟は、安土城が焼けた翌年に秀吉によって建てられた
彼の遺品も収められている ・・・なぜ息子がやらないのか?

18乱世の奸雄
乱世の奸雄と呼ばれた織田信長 直接会ってみたい過去の偉人の一人
ぶっちゃけ会う前に○されそうやけどね

19本丸跡へ
信長公に別れを告げて本丸へ 本丸跡へと歩いていこう

20木が立ち並ぶ
天守台下は木が広がる場所 ここものんびりやねェ
本丸御殿が建っていて、天守閣と繋がっていたそうだ
昔はこのあたりは建物だらけだったのだろうか

21この先が天主台
この先が天守台、日本初の天守閣を建てたのはいったいどんな場所なのか
ワクワクドキドキ

22礎石がたくさん
あれ?意外と狭い気もする 調べると28m四方のようだ
この土地に高さ33mの天守閣か・・・凄い気がする、が実感がわかない

23たんぼ。
天守閣からは麓を見下ろせる 見事に田んぼ。
それもそのはず、ここは昔湖だった場所 埋め立てられて田んぼになったのだ
そう、大手口以外の三方向は湖にて守られていたのだ

24少しずつ整備されているよう
天守から本丸方面を見下ろしてみると、意外と整備されていると気づく
いつか、安土城天守閣も復元される日が来るのか ま、既に博物館にあるけどね
本丸御殿も建てて移築して・・・って何年かかることか

25摠見寺
安土城の西側には、信長が菩提寺として招聘した摠見寺の跡地がある
本堂は焼失してしまって礎石だけがむなしく残る

26西の湖
摠見寺からは西側の視界が開けている その先には湖が
その名も西の湖。まんまやんけ!

27三重塔
本堂は燃えてしまったが、三重塔は残っている
これは甲賀から移築したものだそうだ 室町時代の建築

28表門かr出る
表門こと二王門から出る これも甲賀からの移築

29秀吉家の裏
お寺を出れば最初の秀吉家の横に出てくる お疲れ様でしたー!
じっくり見て回れば2時間ほどといったところか 地味に見所は多い
ここからすぐ近くに資料館もあるんでついでに立ち寄るのもオススメ

と、まぁこんな感じで100名城復帰一発目の記事となりやした
これから隙を見ながらちょいちょい更新していけたら、と
旅のまとめ記事も作りたいししばらくはブログ更新の悪夢から離れられなさそうれす・・・


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四十九城目:滋賀県小谷城
2015-06-22 Mon 21:35
滋賀県彦根に入った翌日、うっかり忘れていた小谷城を訪れた
焼肉が楽しみすぎてついつい彦根まで直行してしまった

てなわけで今回は影の薄い小谷城の紹介といこう
小谷城と言えば浅井長政最後の地 お市と父と自刃したとされる
浅井家は評価自体がすごく分かれる大名家ではなかろうか

一般的な印象では、信長の妹と政略結婚して同盟を結ぶ
その後朝倉家と織田家の確執からどちらにつくかを悩み、前者について一緒に滅ぶ
長政は戦術に長け義に厚いが優柔不断な大名・・・こんな所だろう

浅井家は三代にわたる大名家で、武勇にものを言わせ下剋上した一代目亮政
弱腰外交とよばれながら周囲との融和政策を行った二代目久政
この二代で京極氏や六角氏とややこしい関係を続けていた

結果的に久政が暗愚で長政に取って代わられたような説もあるし
国力を高めるために六角氏との融和政策を取り、長政への転換でそれを破棄
なーんていう力技を行ってたとか180度評価が違う面白い家でもある

最終的には織田信長に滅ぼされてしまう(攻め落としたのは秀吉だが)小谷城
実際どうだったのかは歴史の謎の一つなのであろう

1小谷城
さて小谷城である この日は晴れて気分よく到達
滋賀県の中でも長浜のさらに北にあるこの小谷、周りには何もない

2清水谷の周囲三方が小谷城
小谷城は、平地である清水谷、清水道をU字型に囲むように建つ
城が建つというか、U字型に並ぶ山上に築いたと言った方が適切か

3登山道がある
小谷城へは、上の写真の道をまっすぐ進むとU字のボトムに到着する
ここの登山道から行くと一筆書きのように登城することができるのだ
しかし・・・一週間前に降った雪が残っているとは思いもせなんだ

4快調に真柄峠を越える
山の麓から尾根を通り、山上へと向かっていく
まず最初に目に入る案内、真柄峠 由来は朝倉家家臣からついた
浅井家と六角家が争っていた時に朝倉家が救援に来た際にここに陣取ったとか

5初めに見える金吾丸跡
真柄峠から少し登ると見える金吾丸跡
ここも朝倉家家臣の名前から取ったそうだ
ここまでが城郭の入口のようなものだそうな

6番所跡
金吾丸のすぐ裏にある番所跡 城の入口っぽい
私が歩いてきた登山道と、清水谷から続く虎ヶ谷道が合流する場所でもある

7お茶屋跡
番所のすぐ上にあるお茶屋跡 ここからが城の主郭である
ほんのりした名前とは裏腹に、防御すべき最前線であり、バリバリの軍事施設

8間近に見える伊吹山
お茶屋跡からは伊吹山がとてもきれいに見える
こういう眺めからほっこりする気分でお茶屋跡なのか?

10雪まみれの馬屋敷跡
お茶屋から一段上がると御馬屋跡へ 本丸手前の防御曲輪
この辺から雪の量がなんかすごいことに 嫌な予感しかしない

9馬洗い池
御馬屋跡のすぐそばにある馬洗い池 実際にあらったのだろうか
というか結構ハードな山道、登ってくるお馬さんすごい
昔のお馬さんは今のよりずっと小柄だったそうだけどね

11首据石とは
近くには首据石と呼ばれる場所がある 物騒な・・・
きっちり実際に首は晒されたそうな

13桜馬場跡
本丸までもう少し、ここは桜馬場跡
細長く伸びる曲輪になっているね

12黒金門跡
桜馬場跡に背を向けて、本丸へと向かう途中にある門の跡
大広間跡入口である黒鉄門跡である 鉄を使った門だと伝わっている

14大広間あと
別名「千畳敷」と呼ばれる大広間跡へ
広い。あ、うんこれくらいしか言うことがない

15本丸下の石垣
大広間跡から本丸へ向かう、本丸下には石垣が残る

16本丸跡
本丸上は雪しか残っていない この辺まで来ると足跡もない
一週間以上人が踏み入れてない場所か・・・

17幅広く削られている大堀切
本丸の南側は先程のように石垣があり、北には大堀切がある
本丸が中心だぞとがっつり主張しているな
堀の幅が広すぎて曲輪かと勘違いしそうだ

18中丸手前にこっそり残る石垣
本丸から中丸へと向かう途中にこっそり残る石垣 
雪に埋もれているところも多いのでどこに何があるか油断ならん

19三段に渡る中丸跡
その中丸は三段からなる曲輪である
奥に向かって一段、二段と伸びているのが見えるね

20京極丸跡
京極氏の館があったとされる京極丸跡 しかしこの時代京極氏は別の場所に
城ができる前に住んでいたのだろうか 京極氏もこの辺やったし
ちなみに小谷城はここがまず秀吉によって攻め落とされた場所になる

21久政のいた小丸跡
京極丸から少し北に上がると見えてくる小丸跡
ここが久政が居た場所であり、長政と分断された結果自刃するハメに
戦闘向きの場所ではない小ささ

22山王丸跡
そのまま進み主要城郭部の北詰である山王丸跡へ
ここは本丸よりも規模がデカかったりする

23六坊跡まで下る
山王丸からは山を下って行くことになる
ここからは完全に未踏の地状態である 足冷たい!
サンダルで登る場所ではない めっちゃ滑るし!

24六つの寺院がまとめられておかれたから六坊跡
ちょっと広めの曲輪についた ここは六坊跡
昔の寺院は政務や米など結構政治的な役割を占めていた
それが散らばってて不便だということでここにまとめたのが久政だ

25わぁ誰も踏み入れてないや(棒)
六坊跡からは、更に山を登って行くことになる
うわぁ誰も足を踏み入れてないや(棒読み)

26大嶽城跡
深い雪に足を取られ、体温を奪われ、しもやけを覚悟しながら登る
雪のない所で一休憩して足をさすりまくるという荒業だ 冷たいんだもんよ・・・
大賀小谷城で一番高い所(495m)にある大獄城跡 昔の本丸だそうな

27いい景色だなー
冷たい足元とは裏腹に晴れた天気、眺めも上々だ

28清水谷を見下ろす
大獄城跡は、小谷城U字のボトムより少し端に進んだところになる
清水谷が良く見えるかなーと思ったけど、思ったより細くなってしまった

29琵琶湖が見える
西へと目をやると、琵琶湖と竹生島が見える
竹生島は昔から神聖なるものとして扱われていた琵琶湖の象徴
浅井家も神社に積極邸に寄付して、北近江の実権を握っていた

30福寿丸跡
ずんずん先へと進んでいく 雪がきつすぎてさっさと降りたいのだ
小谷城の主要城郭から清水谷を挟んだ山にある遺構は少な目だしね
ここがその一つ、福寿丸跡 ここは朝倉氏が救援した時に築いたそうな

31尾根を下って行く
尾根をずんずん下って行く 標高が下がるごとに雪が減って行くのがわかる
あぁ、乾いた地面万歳・・・

32山崎丸跡
福寿丸から少し下った先にある山崎丸跡
ここも朝倉家が築いた場所とされ、小谷城主郭より高度な技術が見られる
一乗谷に城を築いたのもあるし山城はお手の物だったのか

33解りにくいけど土塁がある
写真ではわかりにくいけども、土塁もきっちり残っている

34ひっそりと祠が
山のふもと近くには浄水場らしき設備と祠が
ここの祠は昭和製らしい

35ゴール!見事山を一周
下まで降りて小谷城見学完了!無事(?)一周できた
目に見える範囲は全部歩いてきたと考えると中々見応えはあった
足元が雪でサンダルということもあり予想以上の時間がかかったわ・・・

冬の岐阜と滋賀はナメてはいけない 雪凄い
彦根に住んでたくせに全く経験を活かせてないって?
彦根城雪残ってなかったし!まぁさらに北で山城やししゃーないか

冬の山城は装備にも気を付けよう!お兄さんからのアドバイスだ!!
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四十八城目:滋賀県彦根城
2015-06-18 Thu 17:11
やっと百名城記事も関西編にまで到達 滋賀県だッ!
(二条城を除いて)関西一発目のお城は彦根城 ここで有名なのはやはり井伊直弼
御存じの通り、井伊直弼と言えば桜田門外の変で殺されてしまった人である

彦根城の築城は、関ヶ原で勝利した徳川 その四天王の一人である井伊直政による
彦根は元々石田三成の土地であり、佐和山城を移築して彦根城を建てたのだ
まぁ厳密には直政は戦の傷が元で死んでしまったので息子(の家臣)がやったのだが

そんなわけで彦根城下町では井伊直弼と石田三成の両推しという状況に
時代が違うとはいえ敵味方関係ない節操なさはなんとなく日本人ぽい
しかし日本に4つしかない国宝の天守が燦然と輝く紛れもない名城であるのだ

1佐和口
彦根城の入口は3つある そのうちの一つがここ佐和口
他の京橋口は彦根東高校 船町口は彦根西中学校の入口になっている
てなわけでここが彦根城の正門と言って差し支えないだろう

2春の桜は圧巻
彦根城は割としっかり縄張りが残っている場所だと思われる
堀もがっつり周囲を覆っているしね ここは桜の名所
彦根に住んでた頃はここで堀に映る桜を眺めて酒を飲んでいたものだ

3表門橋
佐和口を進み、本丸周辺を包む内堀に架かる表門橋を渡る
奥にちらりと見えているひこにゃんショー、今日は時間が遅く終わっていた
時間が合えば本丸前でひこにゃんと触れ合えるのだ 中々愛嬌がありますぜ

4山道を登って本丸へ
入場料金を払って山道を登り本丸へと向かう 平山城なのだが、結構傾斜は急だったり

5本丸へと続く橋
山道から橋をくぐり、階段を上って本丸へ向かっていく
表から本丸に侵入する経路はここしかないので橋を落とせば防御はOKか

6鐘の丸
上の写真の右手石段を登ると鐘の丸に到着 二の丸にあたる部分だろうか
割と広いんですぜ 割と

7橋を渡ると本丸
この橋の入口を中心に天秤のような櫓が建つ その名も天秤櫓 まんまやんけ
珍しい形だなーと思っていたら全国の城郭でここだけらしい ほう・・

8左側
ちなみにこの橋を境に左右で石垣の積み方が異なっていたりする
こっちが左側(南西)で、江戸時代の改修による切込接(落とし積み)

9右側
右側(北東)は築城当時の野面積み(牛蒡積み)となっている
どうせなら全体改修すればいいのに・・・とは思うが、見る方としてはありがたい

10門をくぐってもまだ着かないぜ
この天秤櫓をくぐっても、すぐ本丸というわけではない
さらに一段二段と上がらなければいけないのだ
ここがその一段目 石垣が圧迫するように積まれているな

11チラッ
もう一段を登って行く最中にチラッと見える天守
・・・|ω・`)チラッ

12太鼓門櫓
本丸入口には太鼓門櫓が建っている 太鼓門と言えば時刻を知らせる場所
それが本丸入口とはちっと違和感があるけど、高さから音は通りそう

13初めて見た時はちっちゃっって思ったね
本丸はやや狭く、天守もちっさい 初めて見た時は逆に呆気にとられた記憶が
あまり木も植えられていない 鐘の丸の方が桜が咲き乱れる場所だったりする
ただ、天守石垣前ではひこにゃんショーが見られるで!目線バシバシくれるで!

14うねんうねんな梁
天守の内部で特徴的なのはこの梁 うねんうねんであるな
自然の木をそのまま使っているからこうなっているらしい
わざわざこんなん選ぶのが何とも可笑しい いいセンスだと思う

15彦根から伊吹山を望む
彦根城天守からの眺めは中々よろしい 西には琵琶湖が望めるし
東を覗くと雄大な伊吹山が視界に飛び込んでくる ふぃー

16石垣づくりを見下ろす
地面を見下ろすとズラーッと続く石垣が目に入る
奥に見えているのが琵琶湖 母なる湖、デカすぎる湖

17西に広がる西の丸
天守から出て、本丸の西に位置する西の丸 まんまやんけ
まさに広がる、というにふさわしい広大な土地

18本丸の搦手
本丸と西の丸を繋ぐ部分に搦手口がある

19井戸曲輪
搦手口か少し下って行くと、道中にある井戸曲輪
名前の由来は・・・説明不要ですな、はい

20黒門
この黒門が搦手門だったのであろう ここからの下りは急斜面だ

21門の先は急なくだり
駆け降る、という表現が似合いそうな坂 こっちから攻めるのは大変そう
とはいえ正面からも攻めるの大変そうなんだけども

22堀が続いてる
下りきると、内堀に合流する 内堀もほぼ完全な姿で残っているのだ
このまま北西までず~~っと続いており、端っこで外堀と合流する

24楽々園
彦根城北側には楽々園と呼ばれると呼ばれる場所が
楽々園とは、彦根藩下屋敷の欅御殿の建物部分を指すらしい

23井伊直弼生誕地
その楽々園で井伊直弼は産まれた まさに彦根の人
彼が江戸で死ぬとは・・・ねぇ

25玄宮園
楽々園のすぐ隣には玄宮園と呼ばれる庭園がある
こっちは江戸時代初期、1677年に造営されたとか

26鳳翔台という茶室
玄宮園の中心はその広大な池と、それに架かる九つの橋だろう
鳳翔台と呼ばれる茶室も立派で、今でもそこでお茶を楽しむことができる

27庭からは彦根城天守も
この庭からは彦根城天守も見上げることができる
夜にはライトアップもされるんやで ちなみに天守は彦根駅からも見える

28南の京橋口
庭を出て周囲をぐるりと回り、南側にあたる京橋口へ
ここから入ると、冒頭に述べた通り彦根東高校に着く 滋賀県屈指の進学校
春の選抜野球に出たこともある文武両道な高校でもあるのだ

29キャッスルロード
その京橋口から南に延びているのがキャッスルロード
城下町っぽい作りで、両サイドに武家屋敷風のお店が立ち並ぶ
意識しているのは明らかで、銀行やパチ屋ですら屋敷風だったり
ここにあるもつ鍋屋は結構うまかった記憶が

滋賀県に5年程、彦根には1年住んでいたため勝手知ったる場所
この旅で再び訪れたわけだけど、変わってないなぁ・・・
さぁ次は小谷城 滋賀のお城って意外と多いんですぜ

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